アイスクリームの先祖として150年以上、私たちの暮らしに寄り添ってきた素朴な氷菓「アイスクリン」。その歴史は明治2年、横浜・馬車道の町田房蔵が営んでいた氷水屋にまで遡ります。
名称の由来について、私なりの解釈をお話しすると、外国から伝来したアイスクリーム(ice cream)の発音を、当時の日本人が「あいすくりん」と聞き取り、そのまま定着したのではないかと考えています。明治初期の横浜では様々な外来文化との出会いがあったはずですから。ただし、これはあくまでも私の推測に過ぎません。
アイスクリーム発祥の地で今も愛され続ける「横濱馬車道あいすくりん」。タカナシ乳業が守り継ぐこの味は、明治時代のアイスクリームの発祥ストーリーを現代に伝える貴重な存在です。全国で親しまれているオハヨー乳業「昔なつかしアイスクリン」や、センタン「あいすくりん」も、知名度が高く、アイスクリンの伝統を受け継いでいます。
アイスクリンにはカラーコーンがよく似合う
フタバ食品「エルコーン」も、アイスクリンの血統を色濃く引く存在。同品に採用されている1970年代から人気になったピンク、水色、イエロー、ブラウンの「TASTY CONE(テイスティコーン)」は、かつて駄菓子屋の定番だった マーメイド「スーパーマンロケット」にも採用されていました。素朴な味わいのアイスクリンと鮮やかなカラーコーンの組み合わせは、まさにゴールデンコンビといえるでしょう。
アイスクリンのメッカ、高知
土佐の国・高知は、今なおアイスクリン文化が息づく街として知られています。「1×1=1」をはじめ、「西山冷菓」、「チェリオ冷菓」、「川田冷菓」、「土居冷菓」、「若松冷菓」など、個性豊かなアイスクリンがパラソルの下で販売されています。砂糖、卵、脱脂粉乳にバナナ香料を加えた素朴な味わいは、高知の気候にぴったりです。スーパーマーケットなどで買える市販品のアイスクリンも高知では人気。全国的に有名な「久保田食品」、「高知アイス」をはじめ、「松崎冷菓」、「さめうらフーズ」、「横畠冷菓」など個性派の商品がズラリと並んでいます。
東日本では、栃木の「レインボーアイス」や秋田の「ババヘラ」、能代の「喜盛堂 しぐれ」や「マルホン みぞれ」など、地域色豊かな味が楽しめます。特に青森は行商アイスの宝庫。「カランカランアイス」「チンチンアイス」という愛らしい名前の商品は、鈴の音とともに夏の風物詩となっています。
十和田美術館周辺では、リヤカーで販売する商ハタケヤマの「十色(花火)アイス」の存在が光ります。
弘前の老舗アイス御三家
アイスクリンを語る上で外せないのが弘前の老舗アイス御三家として名高い「藤田アイス」「小山内冷菓店」「相馬アイスクリーム店」。大きな袋いっぱいに詰められた「ジャンボアイス」は、地元の人々に愛され続けています。これも“アイスクリンの親戚的な存在”と言えるでしょう。
西日本に目を向けると、個性豊かなアイスクリンの世界が広がっています。長崎では、眼鏡橋付近で「チリンチリンアイス」との出会いが待っています。鈴の音と共に街を巡るその姿は、長崎の夏の風物詩として親しまれています。
沖縄のギャルヘラ
沖縄では「ビックアイス」が有名です。特徴的なのは、その販売スタイル。東北地方で「ババヘラ」と呼ばれる年配の女性による行商に対し、沖縄では夏休みの学生アルバイトが販売を担当することから「ギャルヘラ」という愛称で親しまれています。これも、その土地ならではの文化が生み出した独特の形といえるでしょう。
大阪の「ゼー六」や「角屋」のモナカアイス、広島呉の「巴屋」が誇る「アイスもなか」、宮崎の「なかつや」の伝統の味。そして「バクダンアイス」の愛称で地元の人々に親しまれる香川の「お祭りアイス」まで、各地にアイスクリンのDNAは確かに受け継がれています。
アイスクリンを知れば知るほど深い世界。それぞれの地域で、気候や人々の好みに寄り添いながら独自の進化を遂げたアイスクリン。その伝統を守り続けることは簡単ではありませんが、作り手と地域の人々の想いが、この文化を支えています。
旅先でアイスクリンを見かけたら、ぜひ立ち止まってみてください。その素朴な味わいの中に、日本の食文化の歴史が息づいているはずです。私も新たな出会いを求めて、アイスクリン探求の旅を続けていきます。